@レポート1@ 
     東日本大震災復興支援    2011.3.30

  
 3月11日そのとき青森支部の仲間は春闘団体交渉に臨むべく、NTT松原ビルに向かっていました。途中の道路で大きく揺れ、停電で信号も止まり、何度も余震がありました。
 車中のテレビを見、ただ事ではない事態に団交は中止、帰りの車の中では津波の情報が大きく報道されていました。
 幸いにも青森支部の仲間は家族も含め、無事でした。
不都合は、丸1日の停電と交通機関の乱れ、コンビニから消えた商品、ガソリン不足よるスタンドの長蛇の列、くらいであり、今回の震災の被災者に比べるとはるかに幸せでした。

 なかなか連絡が取れない宮城の仲間の安否を心配しつつ、今、私たち青森支部ができることは何か話し合い下記を決めました。 
 1.義援金の送金 
 2.支援物資の送付
 3.ボランティアによる支援

 3月28日支援物資を車に積めるだけ詰めて仙台に向かいました。(ガソリン、カセットコンロガス、食料品、日常品、防寒具等)です。
 仙台の仲間の全員の安否が確認されており、翌日大内委員長と市内の被害状況を見に行きました。名取市の閖上地区、見渡す限り、がれきと水没した田畑、どこまで行っても遙かに続いていました。
 

壊れた集落の入り口にあるローソンの前に車を止めたところ、ちょうど入り口に花を手向ける家族の方がいらっしゃいました。ここでなくなった方がいたということで、とてもいたたまれませんでした。



道路際にはひっくり返った客車が横たわっており、津波の激しさを物語っていました。



  被害の甚大さに心痛みながら、大内委員長と別れ支援物資を持って石巻に向かいました。
 石巻では、すぐ海のそばながら高台の自宅で津波の被害を免れた組合員宅に合流、ガソリンの支援を行い各箇所を回りすさまじい被害に圧倒されました。
 がれきの中に焼け焦げた残骸がどこまでも続く光景、目を覆う惨状でした。



 NTTの門脇ビルは川沿いにあり、2階付近まで水没、関西からの電源車が応援にきていました。
付近の家々は1階から2階にかけて水没、家を流されるのは免れていましたが、がれきに埋もれていました。近所には多くの船が流されてきていました。



 現実にあり得ない光景が続き映画のセットを見ている錯覚を覚えつつ、当日は組合員宅にやっかいになりました。体調が悪い中お世話いただいた奥様本当にありがとうございました。
 翌日、東松島市東名にある郵政の仲間の自宅の後片付けを手伝いに行きました。電通の仲間と合流、泥と砂で埋まった入り口から外回りのがれきの撤去を行いました。まだライフラインは何も生きていない中たくましく生活している人と、行方不明者の捜索をしている自衛隊員の姿が印象的でした。
 


 帰る途中、流された駅と地盤沈下で海と化した広大な土地、遠くに小さく見え浮かぶ家も含め見える範囲すべて土地だった、今は目の前が海でした。また、別の広大な空き地には土台のみが残り家があった形跡しか見えない状態でした。
 石巻に2泊し帰ってきましたが、一生忘れられない光景が今でも残っています。
 仙台の皆さんには返ってお世話になった感があります。
 機会を見つけて再度手伝いにいきたいと考えているところです。
                           (青森支部 佐藤 記)