東日本大震災救援の闘い 

電通労組首都圏支部の仲間からの報告!


  4/16からの救援活動 


    写真 4/16からの救援活動

          4/16からの救援活動


 4月15日首都圏の仲間とともに東京を22時30分に出発。地震でぼこぼこの東北自動車道を走り、仙台へ。
 途中のサービス・エリアで「ピースボード」が企画したボランティアを乗せた3台の大型バスと遭遇しました。(ピースボードは、石巻に入るということでした。)仙台には早朝4時に着き、東北全労協の宿泊所で仮眠。夜行バスで仙台に向かった仲間とあわせて、今回の首都圏からの支援活動参加者は7名でした。

 支援物資を満載した大阪、徳島全労協の仲間も到着し、宮城全労協、東北全労協の仲間も含めて、10時から打ち合わせを持ち、この間の取り組みや今後の活動展開について、東北全労協災害対策本部から報告を受け、参加者それぞれから自己紹介をして、二日間の活動に向かいました。
 



      写真 4/16からの救援活動

          4/16からの救援活動


<介護施設の支援を展開した大阪、徳島全労協の仲間たち>

 大阪、徳島全労協の仲間たちは、午後から石巻に向かいました。
 被災した東松島市東名地区に住む石巻全労協の仲間の被災家具を廃棄場所まで運搬している作業中に、「ディサービス」のNPO法人の方と巡り会い、その施設の泥だし作業(200袋以上の泥だし)をお手伝いすることになりました。
 悪戦苦闘しながら目標達成。作業終了後、津波時の「託老」で来ていた高齢者を避難させ一人の犠牲者を出なかったことや、早くこの施設を再開するためにやむなく「解雇」し、職員を一日も早く迎えたいという中で「人の力」が頼りということです。

 今後も継続した支援していくこととし、徳島全労協の仲間が1週間救援活動に参加していただけるということで。(現地で支援をしてもらっています。23日、徳島に帰る予定)


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       4/16からの救援活動


  <亘理町でボランティア活動をした首都圏の仲間たち>


  首都圏のグループは、持ってきた支援物資を災害対策本部と石巻へ向かう大阪全労協のトラックに載せ替え、宮城全労協の仲間の案内で、仙台市、名取市、岩沼市、亘理町の沿岸部の被災地域を見て回りました。
 海岸線から最大で5kmまで押し上がった津波の破壊力の恐ろしさを見せ付けられました。猛烈な西風が私たちを迎えてくれました。立っていられないよう強風が吹き荒れ、津波が運んできた泥が乾燥して飛散し舞い上がる文字通り砂嵐で先が見えないくらいでした。(戦火の後の閑散とした風景を思い描いてほしい。)
 米軍と自衛隊の「ともだち作戦」で瓦礫がかたづけられ一昨日再開した仙台空港は、瓦礫のなかにたっているだけの惨めなものに見えました。

 海岸線に近い地域は、家の土台だけを残し、ほぼ原型がない状態で完璧に破壊、流出。 3kmくらいのところまで破壊、4Kmくらいの地域が床上まで海水に浸かったようです。仙台東部道路が防波堤となり、津波の市街部への進入を止めたようでした。海岸線から続く、田んぼのなかには膨大な瓦礫が散乱していました。海水に浸かった田んぼは何年後に作付けができるようになるのか農民の落胆はいかほどなのか心が痛みました。
 一方で季節は春爛漫で、仙台地方も桜が満開です。花を観る余裕もほしいものですが・・・。


      写真 4/16からの救援活動

          4/16からの救援活動

     第二日目、首都圏のグループは宮城県南部にある亘理町のボランティアセンターの活動に参加しました。受付開始の8時には、全国各地から500人を超えるボランティアが参加したようです。
 ボランティア登録を一人一人が行い、次に「マッチング」という作業と人数を合わせる工程に進みます。「○○さんの家、泥だしと水洗いで7名」というボランティアスタッフの読み上げに対して、参加したボランティアが手を上げ、グループと人数を合わせていく派遣先を決めていきます。そこで首都圏グループ6人は栃木の2人グループと一緒になり、簡単なオリエンティーションを受け、ボランティアセンタの用意したスコップやデッキブラシ、雑巾、ホース、ほうき等作業に必要なものを車に積んで派遣先に向かいました。

 作業内容は、JR常磐線の浜吉田駅の近く(海から3キロぐらい)にある高齢者の女性が一人で住んでいる家の泥だしと水洗いでした。床から50cmくらいのところまで海水が上がった跡が壁にへばりついていました。支援活動に参加した首都圏グループの6人と栃木からボランティアにきた兄妹の2人グループとともにチームを組んでの作業でした。

   室内に入ったほとんどの泥は前日までのボランティア活動で運び出されており、私たちの作業は、水洗いでしたが、津波襲来から1ヶ月が過ぎ、床についている泥は乾燥しており、ホースで水をかけデッキブラシではがし取り、雑巾でふき取るという内容でした。台所のシステムキッチンをすべてはずし外に出し、奥に入り込んだ泥まで取り除き、和室2部屋、リビング、トイレ、お風呂、玄関など1階部分の泥を洗い流しました。
 ボランティセンターのスタッフから「がんばり過ぎないように」と言われて現地に向かったのですが、参加者全員が黙々と働きがんばり過ぎのようでした。これこそ本当の労働者の本質なのでしょう。




    写真 4/16からの救援活動

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           4/16からの救援活動


   宮城県内のボランティアセンターは、自治体が機能していないところもあり、一部の自治体だけが県外のボランティアを受け付けていました。亘理町もそのひとつです。
 ボランティア保険は、受付で申し込めます。保険料はボランティアセンターが負担するとのことです。申し込んだ日からその年度末までの一年間の保険です。

 今後、全県的に受け入れ体制ができてくると思います。GWも含めて、全国の力を被災された方々が求めています。なんらかの長期的な(現地支援活動も含めた)取り組みをできればと思います。仙台の宿泊場所は4人か5人くらいです。多くの方に現地の実態を見てもらい、どのような「復興」を目指すのかも宮城だけではなく、福島、岩手への支援も同様に、一緒に考えていきたいと思います。

 石巻地区へ行った大阪、徳島の仲間と亘理町でのボランティア参加した首都圏の仲間たちは、活動終了後、東北全労協災害対策本部に戻り、お互いの活動を報告し合い、脱原発の今後の取り組みの含めて、震災支援の活動を拡大していくことを確認し、帰路につきました。


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