道険しくとも前を向いて!


被災地住民は精いっぱい頑張ってます!
          より一層の支援・連帯を!


被災地からの通信(4) 4月3日(日)


                電通労組宮城支部書記長 高橋 喜一

 
 「(戦争で)焼け出されてな〜、今度は地震だッ」「そうだな〜」。食べ物を求めてコンビニに並んでいた2人の婆ちゃんの立ち話。年老いた二人の人生が垣間見える。
 3月11日東日本大地震から25日。被災地では悲しみを胸に閉じ込め、少しずつ少しずつ復興に向けた動きが始まっている。
 24日に遠く大阪から16時間かかって支援物資をもって激励に来た仲間と共に被災地に向かった。仙台と石巻を結ぶ仙石線東名駅は瓦礫の中にプラットホームだけを残していた。鉄路は津波で押し流され枕木ごと垂直に立っている。津波の強大な力をまざまざと見せつけられる。海寄りの方はほとんどの家屋が破壊され無数の車が破壊され泥にまみれコンクリートの建物にぶつかり押しつぶされている。田圃はまるで池のように海水を湛えキラキラと光り、その向こうに津波によって根こそぎ無くなった防風林の彼方に太平洋が見える。
 このような被災地の状況は岩手、宮城の三陸沿岸から福島浜通り茨城へと続いている。多くの人が被災地を訪れ、そこで必死に生きようとしている被災者の姿を丸ごと胸に刻みつけて地元に帰って訴えてほしい。道険しくとも前に向かって歩みだした人々の姿を!

「ヘドロの中で生活する被災住民・物資が届かない被災地」


   津波はあらゆるものを根こそぎ破壊した。津波が去った後は瓦礫が埋めつくし海砂、その上に黒々としたヘドロ。床上浸水した家屋の1階部分は押し寄せた津波の高さをくっきりと刻印し、畳、床にはヘドロが張り付いている。この撤去作業をやらなければ一歩も前に進まない。雨が降ればドロドロになるし、晴れればコチコチに乾燥し風で細かい粒子が舞いあがると言う非常に厄介なものだ。しかも、ライフラインが崩壊し水が出ない状況では洗い流す事も出来ない。多くのボランティアが現地にきて除去作業を行っているが被災者の要望を満たすまでに行っていないとボランティアセンターは呼びかけており、特に高齢者世帯では、支援の力がなければ一歩も前に進まないと言う現実がある。被災者の健康を考えると、これから「春一番」の強い風が吹き、梅雨と続く季節の中でいま本当に「人の力」が必要だ。緊急なのは、道路が寸断されいまだ救援の手が届かない地域の被災者に生活物資を届けることだ。海から、ヘリコプターからの物資運搬、 可能なら人の力による運搬など含めて早急な対応が求められる。

「被災地を人災が襲う!全ての原発を廃炉に!」


 「原発が憎い!」。地震、津波が襲った福島県浜通り地区の住民は原発事故によって、着のみ着のままの状態で避難を余儀なくされた。家族の安否も、住み慣れた家も、生業としてきた田や畑も、手塩にかけた農作物や家畜も・・・原発事故は振り返ることも拒絶し人々を難民化させた。何の情報も与えられないなか、何度も何度も避難先が替えられていく。「原発は絶対安全」と言い含め金にものを言わせ土地や海を奪いつくった「原発銀座」と言う浜通りの町や村。「悪魔の兵器・原爆」の申し子「原発」が「安全」であるはずはない。「戦争で焼け出されてな〜」と言う言葉の中には広島があり長崎がある。戦争によって作られた、産業の巨大な生産力を維持する事の上で作られた原子力発電は「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)のオブラートに包まれて誕生したが、牙を剥きだしたら人間が制御できない「核」の持つ本質を広島・長崎は世界に発信してきたのではないのか。「核」「原子力」は自然界と自然人である人間とは共生できないのだ。地震・津波の被災者に「人災」と語り、福島で「・・東京都は支援を約束する」「私は原発推進論者」と語る石原は絶対に許せない。

「復興特需を狙う大企業!大企業・財界は内部留保を吐き出せ!」


 今回の震災で壊滅的打撃を受けた漁民、沿岸部農民、地元の中小企業、労働者。仕事を求めて多くの人がハローワークに押し寄せているがただでさえ求人の少ない東北にとっては並大抵の状況ではない。一日も早い生活資金の給付、援助が要求されるが遅々として進んでいない感じがする。震災被害額16兆から25兆円の試算のなかで政府は「新税創設案」の原案が明らかになった。財源確保策が「震災国債の発行」「特別消費税」「社会連帯税の新設」など国民負担に負うところが大きい。経団連、大企業はわずかばかりの義捐金でお茶を濁し「復興特需」を標榜している。99年から09年までの10年間で企業の内部留保は約196兆円(総額441兆円)の増加。労働者・国民の犠牲の上に貯まったこの内部留保を「企業の社会貢献特別基金」として「10%から15%」を拠出させればただでさえ苦しい労働者・国民に犠牲を強いることはないのだ。復興資金は「地場産業の再生」「地元企業の再生」「雇用の創設」を柱にし、卑しくも「復興特需」による利益確保を意図する大企業に「規制」をかける必要がある。

「東北は精いっぱい頑張っている!」


子どもも、大人も、爺ちゃん、婆ちゃんも精いっぱい頑張っています。「生かされた命を大事にシナッキャーね」と。
 「2日現在、死亡11,828人、行方不明18,143人、避難165,805人」 これからが長い復興への道のりでしょう。皆さんの町に「人災」(原発事故)によって故郷を追われた福島の人々が避難していましたら是非訪問し話を聞いてください。「福島」と言うだけで「放射能怖い」と「偏見」と「差別」が拡がっています。何の罪もない福島の人々が、人災によって苦しむことは許されませんし、許してはなりません。 支援・連帯をお願いします。

    
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 宮城全労協HPから
 

被災地からの通信(3) 3月19日(土)


「月天心貧しき街をとおりけり」

 外に出て空を見上げたら本当に美しい月の光が降り注いでいます。街はひっそりとしています。そんな環境の中で想い出した句です。遠く救急車、緊急車両かのサイレンが四方八方で鳴り響いています。貧しき町・・・実はこの強欲資本主義社会がつくった社会構造だ。

「踏んだり蹴ったりの日と街の情景」

 今日は久方ぶりに仙台の中心街に足を運びました。実は手持ちのお金が不足してきたので・・・メガ銀行の「みずほ」が入金口座でこの大変な時期にシステム障害。本店まで行かないとおろせないと言う切迫した状況です。震災以後久しぶりの中心街の状況を伝えます。
 大規模スーパーには5列に並んだ人が200メートルぐらいの長さにあふれています。最後尾で「入店までの時間は?」「そうですね3から4時間です」。街のあちこちには食材を求める人が行列を作っている。仙台の繁華街「一番町通り」は人の波。JA山形のコメの販売にも多くの人の波。米を求め食材を求め水を求め罹災した人々が街に繰り出しています。手に入れられる食材は限られています。では何故中心街にこれほど多くの人が?それは簡単な理由です。「便利さ」は都市の中心につくられたからです。そこに行けば何でも手に入る街・・・公共交通が正常ならばそうかもしれないがそこが壊れてしまうと居住区には何もないという現実が透けて見えてきます。
 今、被災地を襲っている諸問題は「新自由主義」が作り出した「闇」の部分が露呈したと言うことでしょう。

「東北とは?を考える」

 こうした社会構造は震災の中で最も弱い層を直撃し、しかも見捨てられている。震災で亡くなった人の氏名が毎日の新聞に載ります。その多くは70歳以上です。震災のあった時間、働き手は街の職場に行っている。家には爺ちゃんと婆ちゃんとと学校から帰った子供と主婦・・・そして地震と津波。二世代、三世代の家族・・そうした家族構造が被災地、とりわけ津波の襲った地域が「一緒に暮らす」と言う社会が生きている町や村なのです。TVで避難場所にいるお爺さん、お婆さんが東京をはじめ遠く離れた地域え「○○ちゃん元気ですよ!連絡ください」と言えば一人ぐらい、あるいは老夫婦都いうことが想像できるでしょう。
 東北はいつの時代でも「使い捨ての最前線」におかれてきた。「我慢強い」「忠実」と言うなのもとに農家の働き手が戦争の最前線に動員され餓死してきた。戦後の復興期では集団就職列車で「金の卵」と15歳の中卒の子ども達が安い労働力として「動員」された。そして生まれた日本の繁栄。でも、その繁栄は東北をはじめとする被災地では無く衛星からこうこうと光り浮かび上がる「白夜」の中の都市に「富」が集中したのです。今、震災の中に思う事・・この政府は何を大事にしようとするのか?乾パン2枚とペットボトルのキャップ2杯の水で何日も生き延びてきた被災者。女川・石巻に挟まれた牡鹿半島の各浜は100を超える遺体が打ち上げられ、半島の小さな集落では70歳を超えた老人が手元にある食べ物を分かち合って支え合って生きている。牡鹿半島のあちこちで必死に生きようとしている人に何も届いていない現実を見ると私は政府の「棄民」政策ではないかと考えてしまう。ヘリコプターが半島をくまなく飛行して確認し水と食料をメッセージを投下する。先ずそれを実行して欲しい。爺ちゃんと婆ちゃんの生活の知恵は政治家どもには判るまい!


「石原発言に怒り! 都民の投稿に感激す!」

 この間、新聞投書欄を見るのが楽しみです。今日の朝日では恥ずべき『都知事 「天罰」発言』が載りました。確か昨日は高校生の同様の投書が載りました。何度も何度も読み返しています。本当に嬉しく思いますが東京ではどのような動き(地域マスコミも含めて)かが判りません。彼は「都知事選」に出馬する意向だそうですが「糾弾・抗議の嵐」のなかで立候補を辞退させるような世論をかき立ててください。いやしくも「芥川賞作家」である文豪石原が自ら発した言葉が被災者に悪罵を投げ一層の苦痛を与えたことを理解できず「撤回」で済ます事で「事足りる」と言う認識を許すならば被災地の人々は「二重の選別・差別」を受けることです。東京知事選で石原が仮に当選するようなことがあれば被災地の人々の心と東京の人々の心は混じり合う事が出来ないことになるでしょう。

「ふるさと相馬の人を想う!」

 私の故郷である南相馬市は原発事故のなかで避難を始めています。2万1千人の人が避難先に向かっています。東京をはじめ多くの自治体が受け入れ準備を始め、また受け入れてます。原発立地区の人々は精いっぱいの反対運動を40年前展開しました。行政に対する札束と懐柔策で村人が分断されてきました。いま「原発はいらない」と言い続けた事の本質が満天下に示されました。皆さんの街に、原発事故で避難する人々がお世話になるかもしれません。見慣れぬ土地に行く不安とこれからに対する不安のなかで心配は尽きません。どうか避難先に出か交流し話を聞き励まして下さい。
 もう深夜です。余震が又来るのでしょう。私も身体に気を付け頑張ります。皆さんお休みなさい!

    
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 宮城全労協HPから
 

被災地からの通信(2) 3月18日(金)


 被災地は大雪に見舞われました。私の住む仙台市でも−4度。セーターを重ね着し、軍手をはめ、靴下を2重にマスクをかけ防寒具を着込んで寝てます。余震が続くなかいつでも逃げる用意をしています。
 でも、津波で崩壊し支援の手が届かない被災者の皆さんに比べれば。。。。。
 電気がきてTVが見えるようになり被災地の状況がよりリアルに感じています。「1,000人の避難所に4台の石油ストーブ」・・・石巻のある避難所の様子が報道されました。数日前から避難している人を「安否情報」として放映しています。

「公務員削減を叫ぶ政治家への怒り!」

 避難している人の多くはお年寄りのようです。平日の昼間の時間帯で働き盛りの人のほとんどは仕事中で会社(多くは石巻では)のなかです。家には、お年寄りと、子供と主婦。画用紙に住所と名前を書いてテレビに向かって「東京の○○ちゃん、おバーちゃん元気だよ」と精いっぱいの笑顔を作って呼び掛けています。そしていまだ行方不明の家族にむかって「○○は大丈夫です。◎◎、△△連絡ください」。見ていて涙が出てきます。避難所の責任者は涙ながらに「食料を下さい」「水を下さい」「情報を下さい」。そして「一生懸命頑張ってます。何人かの職員も倒れています。助けてください」と。
 政治家どもの悪罵と「公務員削減」の大合唱のなかにあっても、地域住民のために必死になって頑張っている(まだ家族・親族の安否すら確認できていない人もいるのかもしれません)。被災者が「助けてください」と言わなければならない「万全の救援体制」とは何なのか・・・。
 1000名の避難所に4台のストーブしかない中で氷点下のなか被災者は夜を過ごしました。
 「何もない」・・そうです。なにもありません。あるのはじっと悲しみに耐えて救援を待つ人々です。
 今必要なのは「食と水と暖と薬品と情報」です。既に8日目にはいりました。

「極端なガソリン不足の背景に見えるもの」

 救援物資がないわけでなく届かないのが現状です。その原因は「極端なガソリン不足」と「トラック不足」と「政府の無責任な対応」です。福島県南相馬市に起きていること如実にこの事を示しています。
 仙台の物資集積地から気仙沼(津波とその後に起こった大規模火災で壊滅的打撃を受けた港街)には「早く物資を運びたいが行っても帰れない」(トラック運転手)。また、深刻化する原発事故のなかで20キロ圏の「避難指示地域」とその後の20キロから30キロ圏の「屋内退避要請地域」(福島県南相馬市)の設定の中で、運転手が「放射能の恐怖」を感じるなかで30キロ圏外までしか物を運ばない(これは、運転手が悪いのではなく原発そのものを因として事故後のちぐはぐな政府対応にある)。
 そのために物資を手に入れるために福島県郡山市、または宮城県亘理の集積地まで取りに行かざるを得ない。しかし、そこでも「ガソリン」「輸送車」「運転手」の確保が問題になっている。「(政府が)屋内避難の指示をしてそのままにして30キロ圏を打ち出したために何もはいってこなくなった。このままでは街ごと餓死するしかない」と。

「浮かび上がる様々な問題」

東京では買占めが拡がっていると聞きます。給油所に車が殺到し多くのガソリンを入れているという報道を聴きます。東京をはじめ全国の皆さんにお願いです。「被災地の人のために10%削減(我慢してガソリンを送ろう)」をと。
 40リットル入れようと思ったら被災地を想って下さい。そして36リットルで我慢して4リットルを被災地に!心からのお願いです。
 生活用品も不足しています。被災者は割りばしを「マイ箸」として大事に使っています。買い占めるのではなく無駄なく有効に使って、被災地にまわして下さい。ミルク、おむつ、医薬品(寒さと緊張の中で体調を崩す避難者が増えています)
 政府も供給増加策を打ち出しました。それはそれでいいのですが地方の町や村でガソリンスタンドの閉鎖が相次いでおり灯油を買う場所が無くなっていると言う事。
 地下タンクの耐用年数で交換(法律で決まった)が必要だが「約2000万円」と言われる費用を個人店は出せず「廃業」に追い込まれているのと大資本のスタンドは儲けが薄い地域のスタンドを閉鎖。一人暮らしの老人は暖を取るすべがない実情に何の手だても無いのだろうか?行政が「目張り、気配りができない」状況は「平成の大合併」が作りだした行政と地域社会の乖離の問題です。

「高齢者・医療・・・矛盾の顕在化が!」


 3月は「奇数月」です。つまり年金が支給されない月です。農業、漁業、小売店主などの人々は「国民年金基礎額」でおよそ「月額66000円」。偶数月に2カ月分支給の中でやりくりして2カ月を過ごしています。今回の震災は其のやりくりを困難にします。つまり「余計な出費」が積み重なるので何かを減らさなければならない状況。特に東北は「農業」が中心ですからちょっと心配です。
 全国から多くの救いの手が届いています。しかし受け入れ側の行政が崩壊し機能停止の状況や余力がなく殺到する災害ボランティアに対応できない状況(受付中止)も出ています。本当に人の力が欲しい。できれば行政にではなく皆さんの情報網を駆使して孤立している避難所に力を届けていただければと思う。やらなければならないことはたくさんあります。でも人手が足りないのが現状です。被災地の病院でも「介護士」が足りなくて十分なケアができないと報道されました。
 医者も不足しています。政府は「外国人医師の医療行為」を「医師法」と言う障壁が阻んでいることにもたもたとしています。それこそ彼らの好きな「超法規的措置」でやればとおもうが?ちょっと愚痴っぽくなりましたが、吐き出しようのない怒りが・・・!
 今から食料の買い出しです。何か動いていないと気がめいるのでいいストレス解消にもなります。それではまた。

    
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 宮城全労協HPから
 

被災地からの通信(1) 3月17日(木)


 ようやく電気の供給がありPC、携帯、電話が使えるようになりました。震災の全体的状況についてはマスコミで報道されてるのでローカル放送での情報を「被災地からの通信」として送ります。一昨日から東北は真冬日、雪が舞ってます。仙台のライフラインは水が今週中か?電気は被害の小さい所から、都市ガスは何カ月かかるかわからないという状況。

「「被災地宮城県石巻では」

 朝6時のラジオニュースでは津波で崩壊した町・・・石巻地方( 日野書記長、他1名の組合員の居住地域。家族も含め大丈夫)の住吉中学校の話。ちなみにこのラジオはSWFでブラジルに行ったときにアメ横で買ったもので11日(地震発生)以後、休むことなく働かされている(感謝)。ここの避難民は2200名(石巻地区で最大)、しかし罹災以後一度も救援の手が来ていません。ここは石巻の旧市街にあたり津波が上った旧北上川にめんしているのかな?
 ラジオでは、3日間何も食べモノがなく非難した商店主が店から「菓子類」を持ち寄って食べそれが今も続いている。中心になっているのは先生方で、それこそ不眠不休で頑張っている。また、11日は学校の卒業式・・・遠くから通う子(雄勝町など)津波が襲った町で自宅に帰った子の安否が確認できず先生は心労は・・・・。津波が襲った町は人命救助を優先しているのと職員自身が罹災し連絡も取れていない状況の中で行政機能が崩壊している。

「吹雪の中、ガソリンを求める長い列」(3月15日)」

 一昨日、深夜石巻まで行った。宮城県の北部地域は吹雪。ライフラインは壊滅状況で「闇」の中で余震におびえながら家族が寄り添っているのです。
 国道4号線・・高速道に匹敵する東北の「幹線」・・にはあちらこちらに車が長蛇の列をつくっている。まだ22時過ぎ・・・これは明日のガソリンスタンドの開店を待つ列で、雪に埋もれながら明日朝9時ごろまで待つ。1台10リットル、売切れたらそこで終了。地方の町の中心部の商店はさびれ、シャッター通り街となっています。これは、大店法(規制緩和)によって全国展開の何百台もの駐車場完備の大規模店が郊外にできたためと、車社会の中で縮小・整理された公共交通機関の両面からのことでしょう。つまり、車がないと食糧を始めとする生活用品の購入に動けないためだ。ガソリン不足は深刻です。既にガス欠の車が仙台の街でも放置されている。また、津波で流された車のガソリンが抜かれているという話もつたわっています。

「石巻の病院にて」

 次々と運ぶ込まれるけが人、患者。私が行った総合病院だ津波の被害があった地方都市。赤十字の救援隊がおおきなテントをいくつも張り、外でけがの治療をしている。ロビーは毛布一枚を巻きつけたけが人・患者が腰掛けに座っている。百人位いるだろうか。各階の廊下にも毛布にくるまったけが人が休んでいる。近隣の町村から次々とけが人、患者が運ばれてくる(時間は深夜零時)。自冶体病院の統合・廃止、広域化によって「地域総合病院」化された結果だろう。このような凄惨な状況の中で新しい命の誕生は何よりもうれしい。だが正常分娩であれば出産後3日で退院と言う話が伝わってきた。「せめて・・・」と思うが「現状は・・」と言われると言葉に窮してしまう。震災の街に戻って行く母子が大丈夫であり健やかな成長を願うしかない。

「人災!原発事故に襲われる故郷 相馬」

 福島県では2万1千人を超える人が原発事故で避難を余儀なくされている。福島県飯館村(20キロ超地域)で放射能が測定されたと報道が会った。ここは阿武隈山脈のはずれの山間部で林業と農業では「阿武隈大根」、牧畜では「飯館牛」の産地で避難の始まった南相馬市から福島に抜ける道で海抜700メートルで一昔前は「交通の難所」。ここで放射能が検出されその他郡山でもと言うと放射能の拡散は「阿武隈山脈」を超えてきたという事と、30キロ圏の南相馬市(興味のある方は「相馬野馬追い」で検索するとこの地域の営み・・馬と人が一緒に住む町がわかります)は避難地域(現在も海沿いで千数百戸が水没している)で避難が始まりここから隣接の相馬市を超える宮城県、仙台圏と続き、阿武隈越えは福島県の県都福島市は山を下ったところの盆地だ。
 東に向かうといわき市でも放射能が検出されたようだ。避難した人の受け入れ先は「避難エリアの発表」をすれば事足りると考えているのか避難先行政に丸投げの様相で特に石油・毛布などの暖房器具・用品・燃料が深刻(菅や枝野は雪国の冬はテレビで見るものと思っているのか?)で、食料も同様だ。「どこに避難するか」の指示すらないなかで「避難!」「避難!」の掛け声ばかりと情報隠し等、本当に頭に来るがもともと「危機管理能力」の意味させ知らない奴らだったと思えば頭に来るのも「損」する。

何が「お友達作戦」だ!日米同盟の真実

 固いきずなで『結ばれた友情』・・・アメリカ国民は原発事故地域から80キロ先への避難指示。空母レーガンはしずしずと沖合に去り、「友人」の惨状に「心からの哀悼の意」の表明。アメリカ政府・原子力機関・学者は、日本政府の対応を「深く研究」するとともに事故の全容把握に「科学的データ」欲しさに「支援・派遣」だ。米国の辞書では「フレンドリー」とは「自国が、自国民が、損するような事態では無く、国益が望める場合をフレンドリーな関係と言う」のだ。
 だんだんイラついてきましたのでこの辺で。余震が続き30分〜一時間おきに起きて、飛び出しているので震災後寝れてません。朝は5時半から水汲み、その後「食料調達(買い出し)」などであっという間に一日が終わります。「湧水」(水道管破裂の天の恵み)はちょっとした社交場になって、情報共有し助け合っている。家が倒壊した人、一人暮らしの老人、目つきの鋭い金髪の若者等みんな挨拶を交わし話をして最後は「がんばりましょう」で別れる。これって「フレンドリー」ですよね?

                         

    
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 宮城全労協HPから